No.0133

非上場化の検討のすすめ…「いやな奴」に株を持たれる上場は本当にハッピーか?

ここ数年間、新たに上場してきた多くの会社のマネジメントの皆様とお話しする機会を頂いてきた。そこでは、上場の目的として、知名度向上による顧客開拓や従業員採用の進展を挙げられることが多いが、その大半が納得しうるものであり、投資家サイドの人間である私も、上場のメリットを存分に味わって欲しいという意味合いを込めて、心から応援したい気持ちになることが多い。
一方で、最近はESG(環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の頭文字)、脱炭素、コーポレートガバナンスという、利益と必ずしも直結しない社会的要請が、上場企業の義務として捉えられることが多い。しかし、それらの中には、本当に中長期的成長につながるものか首をかしげざるをえないものも少なくない。
 先日テレビを見ていたら、複数の企業の社外役員を掛け持ちしている女性が、女性活躍の象徴的な存在として出演しておられたが、社外役員という職が、2社も3社も掛け持ちしてできるような軽い職業なのか、甚だ疑問に思えた。私が上場企業の社長なら、複数社の役員を掛け持ちしているような人は役員に選任したくない。また、最近は、有名な人が社外役員に名を連ねることもよく目にするが、「有名な人を役員にしておけば社会も納得するだろう」くらいの安易な感覚での社外役員の選出という誹りを逃れられないようなケースも少なからずあるような気がする。
「女性活用」とよくいわれるが、「活用する」という言い方にフィットする主語は、人よりもモノであるように感じられる。その中で、よくこんな言葉使いに対して女性が怒らないなと不思議に思うくらいのセンスの悪さを感じる。それは、「男性活用」「高齢者活用」という言葉に置き換えてみると、何となくわかるのではないか。
社員が一生懸命に働いて蓄積した内部留保は、本来はコロナウイルス問題のようなリスク発生時のバッファーとして機能しうるものであり、究極的には会社の長期存続や社員の雇用維持に通じる大切なリソースであると思われる。それなのに、欲深い投資家が突然現れて、配当や自社株買いを増やせと言い、多くの市場関係者がその強欲の投資家に援護射撃をすることで、企業が社外流出の拡大を余儀なくされ、その対価を受け取った強欲投資家はさっさと株を売り払って次の獲物を狙う。こんな構図が、企業との対話というきれいな言葉で片付けられて、コーポレートガバナンス進展の好例として語られる世の中は、どこかおかしくないのか。
炭素を悪者扱いするどこかの国のお嬢ちゃんを崇め奉り、企業の環境問題への現在の取り組みは十分かとインタビューするテレビ局の人間は、本当に中立の立場から大人の仕事をしていると言えるのか。曲がりなりにも、相応の経験を積んできた大人であるならば、「お嬢ちゃん、過激な主張をする前に、もっと広い視野で世界を見つめた方がいいよ、あなただって子供時代に炭素の恩恵を受けて育ってきたんだよ」くらいのことを言えないものか。
こんなことを思うままに書き連ねるだけでも、上場企業が本質的とは言い難い様々な課題に直面している事態が浮き彫りになる。
非上場企業でも、上場企業と同様に、相応の社会的要請に応じる必要があることは言うまでもない。しかし、少なくとも現在の上場企業が感じる堅苦しさの少なからずの部分が、非上場で解消されると思われる。これからの起業家は、上場以外の手段を通じた知名度向上をまじめに考え、非上場のまま事業を拡大した方が良い場合が多いように思えるのは、私だけであろうか。今の世の中は、幸いにも、必ずしも上場しなくても、知名度向上、資金調達源の拡大につながる施策は昔と比べて有意に増えていると思う。企業にとって、上場の効用は、少なくとも数年前と比べても、有意に落ちていると感じられる。自分の創った企業を愛し、その成長の手段が多く存在するならば、「利益の取り分の権利」「かじ取りを主体的に行う権利」としての株式を、「好ましくない奴」に持たせないことに経営のプライオリティを置くことは、十分に合理性があると私は考える。

大木 将充