No.0116

1989年の日本企業の驚くべき大きな存在感

2020年末に、ドルベースの日経平均株価は、1989年の最高値まであと3%の水準まで戻ってきた。その日経平均株価が最高値をつけた1989年においては、日本企業の存在感は凄まじいものがあった。世界の企業の時価総額ランキングトップ20を見てみると、上位5社は、NTT、日本興業銀行、住友銀行、富士銀行、第一勧業銀行と日本企業が独占。また、上位20社の中に日本企業が14社もランクインしていた。世界の上位50社の中でも32社が日本企業だ。産業別に見ると、14社のうち6社が銀行ということで、この当時の銀行の勢いの強さが目立つ。
銀行が上位を占めていた理由は、第一に当時は公定歩合や市場金利に一定の利鞘を乗せる形で貸出金利が決まっていたため、利息収入の安定感が高かったこと。そして、第二の理由は、事業会社との間で株式の持ち合いを進めていた中で株高が起きたので、銀行が多大な株式含み益を得ていたことだ。
第二の点については、含み益がバブル崩壊によって急速にしぼみ1997~1999年の金融危機では含み損に転じるものまで続出し、銀行の体力を蝕んだ。ちなみに、1989年末のTOPIXの銀行株指数は1,477.24で、これが2020年末には119.38と10分の1以下に沈んでいる。みずほフィナンシャルグループの母体となった日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行の3行合計の時価総額は1989年末で24.7兆円もあったが、昨年末では3.3兆円に激減している。こうした銀行株の沈没が、バブル崩壊後の日本株の戻りが鈍い一要因であったことは間違いなかろう。
ちなみに、1989年当時、世界の銀行の中でAAA(トリプルA)の格付けを得ているのは6行しかなかったが、うち3行は農林中金、商工中金、日本興業銀行と日本の銀行であった(残り3行は全てスイスの銀行)。時価総額的にも財務安定性の点でも、日本の銀行が突出していた姿がうかがえる。
このように、かつて燦然と輝いていた銀行セクターは、今後も凋落の一途を辿るのか?私は、必ずしもそうは考えていない。なぜなら、強い顧客基盤が残っているからだ。コロナ問題で、資金繰りに窮した会社が続出したが、大企業・中小企業の規模の別を問わず、多くの会社が銀行に資金供給を依頼したことは記憶に新しいだろう。そして、晴れの日にしか傘を貸さないと言われた銀行業態は、この未曽有の苦難で、積極的な資金提供者として極めて重要な役割を果たし、現に多くの企業から感謝されている。大企業の中でも、ANA、HIS、リクルート、パーク24などの日本を代表する企業でさえも、銀行を頼って、借り入れをしたり資金枠を提供してもらったりした。このように、顧客基盤が盤石である限り、銀行業態が落ちぶれる一方ということはないだろう。
ちなみに、mixiという会社は、上場当初はSNSが中核事業であった。しかし、今や、SNSとしてのmixiはFacebookなどの他のプラットフォームに完全に取って代わられ、SNS業者としての面影は極めて薄くなっている。一時的に賑わうプラットフォームを提供する会社と、何十年にもわたって顧客基盤を維持する会社と、どちらの永続性が高いのか、答えは明らかであろう。
ドラッカーは「事業の目的は顧客の創造である」と言っている。そして、私の意見は次のようなものである。
「創造された顧客を維持することは、創造と同じくらい難しい」。

大木 将充