No.0026

It “was” a SONY ②…サプライズなのは赤字ではなく無配、
それ以上の驚きは平井社長の老化

興味深かった業績修正後のアナリストの反応


9月17日、ソニーが業績下方修正と通期無配を発表した。
以前、大木レポートNo.008で、ソニーの適正株価を1100円程度と試算した筆者としては、あまり驚きではないが、それでも無配ともなれば、大変寂しい感覚を禁じえない。
ところで、翌日の9月18日に出揃った、主要証券会社からのアナリストレポートは、実は市場関係者が、ある意味でアナリストランキングよりも有用なアナリスト評価の材料になったと私は思っている。ソニーのような会社は、民生電機セクターのアナリストが全てカバーしているので、ソニーに関するアナリストレポートは、民生電機セクターのアナリスト評価の材料としては、いわばフィギュアスケートのショートプログラムや、音楽コンクールでの課題曲演奏に相当するもので、横比較をしやすい材料と思われる。
そして、私の評価基準としては、今回のソニーの件については、業績修正はともかくとして、無配という現実を突きつけられた今、99%の確率でポジティブ評価はできないと考えている。つまり、ポジティブ評価をしたアナリストは、あくまで私の評価基準においてであるが、アナリストとして「失格」と考えている。
これは、自分が経営者になってみたらわかる話だ。上場来、有配や黒字等を続けてきた会社というのは、その継続期間が長ければ長いほど、その後の継続にこだわるものである。しかし、残念ながら、経営環境の変化を考えると、黒字や増益の連続は、どんなに優秀な経営者でもかなり難しいことである。しかし、配当は違う。いくら最近の経営が悪くても、資本勘定に配当原資があれば払えるのである。つまり、増益や黒字が(判断というよりは)「事実」に近いのに対し、配当の有無というのは(配当原資がある限りにおいて)「判断」なのである。経営に当たっている人たちが配当断念という判断をしたことが、将来への明るい見通しであるはずがない。逆に言えば、「来期に数千億円の利益が出せる自信が本当にあって、あなたがソニーの経営者なら、無配にしますか?自信がないから無配にするのではないですか?」という問いに置き換えられるのである。
これに対し、あるアナリストは、無配を、構造改革をやり切る意思だとか言っていた。構造改革について必要なことは、やりきり「意思」ではなく、「結果としての良い業績」なのである。意思なんかどうでもいい、良い業績を出す自信がない構造改革に、ソニーの経営陣が取り組んでいること自体が問題なのではないですか?
「悪材料出尽くし」とか言っていたアナリストもいた。無配という悪材料を出尽くされた投資家が納得しますか?例えば、優れた技能を持つ技術者が、過大な住宅ローンを払えなくなって家を失い、かつ都合の悪いことに職も失えば、これも「悪材料出尽くし」だろう。しかし、これは、「出尽くし」というよりは「末路」であろう。それと似たことがソニーにも言えるのではなかろうか?

平井さん、ソニーの経営よりもあなたの健康が心配です

今回の無配発表の数週間前に、テレビで平井社長へのインタビュー報道を見ていて、私がびっくりしたことは、発言内容とは全く関係ないことであった(発言内容は、インパクトがなく、何一つ覚えていない)。それは、彼の眉が白くなっていたことである。私は、彼の体調、特に心臓が心配だ。心臓を傷めると、眉毛が抜けるという。彼の眉毛は抜けていないが、54歳の若さであの眉毛の白髪の多さというのは、何か身体に問題を抱えている可能性があると思わざるをえない(遺伝等が原因なら問題ないが…)。
また、無配発表時の彼の目の大きさに驚いた。彼の目が大きく見えた理由は2つあると考えている。一つは目が悪くなって眼鏡の度を上げたため、もう一つはやつれて顔の面積比で目の面積が相対的に広くなったこと、と推測している。いずれにしても、由々しき事態である。
私は、今のソニーの立て直しは、英語が取り柄のサラリーマン社長には荷が重過ぎると思う。
そこで、私は平井社長にお聞きしたい。
「あなたは、ソニーの立て直しを行う自信があるのですか?」
「もし自信がないなら、自分の健康や老後を真剣に考える方がいいのではないですか?」
大きなお世話かもしれないが、私は今でもソニー製品のファンであり、ソニーの復活を心から願っている。しかし、グローバル競争に晒されて、ソニーの復活が容易ではない中、私は一人の日本人として、ソニーの立て直しよりも、平井社長の健康をより強く祈りたい。

大木昌光