No.0020

JR東海によるリニア新幹線建設は、偉大な勇断か、世紀の愚策か?

身近な例でリニア新幹線の意義について考えてみよう


世の中で、経済学を少しでもかじったことがある人に、最も知られている法則は、「限界効用逓減の法則」であろう。その理由は、別にこの法則が素晴らしいからではなく、ミクロ経済学の教科書の最初に出てくるので、どんなに勉強に飽きっぽい人でも知っていると思われるからである。この法則は、要は、どんなに好きな食べ物でも、食べ続けていくと、一口当たりの満足度が次第に落ちていくということである。この法則を初めて学んだとき、「なるほど」という気持ちが50%、「だから何なんだ?」という気持ちが50%であり、これを、実経済で一体どう使うのだろうと、疑問に思ったものだ。この法則を社会人になって初めて思い出したのは、社会人1年目のこと。野球大会で、先輩社員が美人の奥様を連れてこられた。私は心からの気持ちとして「綺麗な奥さんですね」と話しかけたところ、その先輩社員は「どんなに美味しいものでも、そればかり食べていたら飽きがくるだろう?」と返答してきた。正に限界効用逓減である。それからウン十年。久しぶりに以下のように使える局面がきた。
1964年の東海道新幹線開通は、東京と大阪が3時間半で結ばれたということで、日本の個人生活やビジネスを大きく変える画期的な出来事であったろうと容易に想像できる。今は、更にこれが2時間半まで短縮され、更に便利になっている。飛行機なら1時間10分だ。
これがリニア新幹線により2045年頃は67分に短縮されるらしい。速いなあ。しかし、感動は薄い。新幹線や飛行機での東京・大阪間の利便性進捗の歴史を身をもって経験されているシニアの方にとってはもちろんだろうが、私のように東海道新幹線開通後の生まれのものでも、新幹線開通と比べると味が一味も二味も落ちるように感じられる。限界効用逓減である。しかも、この事業に9兆円もかかるという。
これに対し、やれ名古屋の価値が上がるとか、やれ建設セクターが賑わうとか、市場はユーフォリア状況となっている。しかし、リニア新幹線は、「国債負担の重さが国際的にもトップクラスのわが国で」、「東京・大阪間の移動手段が十分にある中で」、「ネット社会により通信手段が格段に向上している中で」、「国鉄清算事業団の債務がまだ残っているとされている中で」、果たして必要なのか?必要性の議論が、スコンと抜けているような気がする。ここで、多くの浮かれている人には、「限界効用逓減」のみならず「裸の王様」の寓話も思い出してほしい。

最終的にはいくらかかるのか?活断層は大丈夫なのか?突っ込みどころ満載。


この9兆円のプランは基本的に2010年に策定されている。したがって、震災後の建設コストの上昇、アベノミクスによる建設コストの輪をかけた上昇は、この計画には織り込まれていない。この「楽観的」な資金計画を前提にしても、同社やアナリストの試算等によれば、有利子負債は現在の2兆円強からピーク時に4兆円超まで膨れるらしい。仮に総コストが5割上がっていたら(2010年比で少なくとも総コストの中の建設コストは現在これくらい上がっている!)9兆円のリニア計画は13兆円くらいまでコストが拡大する。そして、有利子負債は、コスト計画の増加分である4~5兆円分だけ増加し(金利負担を含めたらそれ以上になる)、その結果、有利子負債は10兆円近くなる計算になる。これは一企業で支えきれる額なのか?前回の「総合商社の負債は過大ではないか?」にも書いたが、東京電力の現在の苦境の一端は、震災前に積み上げた7兆円の有利子負債にあると思われるし、総合商社の3~6兆円の負債も必ずしもサステイナブルではない。
また、損益についても、会社資料とアナリスト予想を総合して試算を加えると、2027年の品川・名古屋路線開通時と2045年の品川・大阪路線開通時直後は、建設コストの上ぶれ幅次第では、赤字転落するリスクがある。現在、4000億円前後の経常利益を計上していることとの比較で見ると、投資家の立場から見ても一体何のためにやるのかが不明である。
更に言えば、原発事故で話題となった、日本の各所にある活断層についても、同社資料では、こう説明されている。「…活断層はなるべく回避する、通過する場合は活断層をできる限り短い距離で通過するようにし、さらに活断層の形状等を十分に調査したうえで、通過の態様に見合った適切な補強を行っていくなど、注意深く配慮して工事計画を策定していきます」。従来の鉄道路線(原発施設でもそうだが)は地上に建設されるのに対し、リニアは品川・名古屋間全長286kmのうち86%の246kmが地下に建設される。常識的に考えても、地上と地下では、地下のほうが建設リスクが高いように思えるが、実際はどうなのだろうか?

JR東海の株式評価に際して、「JR東海版EV」が使われる日も近そうだ。


色々考えていくと、これほど長期にわたり、これだけ借入が増え、これだけ意義が不透明な計画を実行に移す会社の企業価値評価は、各種シナリオによる長期(品川・大阪間が開通する30年以上先)予想の元で行う以外はなかろう。そして、そのシナリオについては、多くの人が喜んでリニアに乗る楽観的シナリオに加え、大半が地下を通ることの不快さから一定の人が利用しないシナリオ、工事途中で地震や金利上昇に遭遇して開通不能となり建設コストだけが会社に圧し掛かるシナリオ、「Back to the Future2」に出て来る自動車の空中走行や、現在検討が進んでいる自動車の自動走行の実現で、鉄道利用ニーズが有意に減退するシナリオ、飛行機が遠隔交通手段の主流となるシナリオ、などのあらゆる可能性をできるだけ多く集める必要があると共に、各シナリオの発生確率を吟味して、最終的な企業価値評価を行う必要があろう。そう考えていくと、現在の利益水準に対してPER10倍を切る現株価は、安いとは言い難くなるであろう。
そうなると、JR東海の企業価値は、まるで生命保険会社の「エンベディッド・バリュー(EV)」に基づき株価が形成されるのと似たような状況になるのではないか。EVは要は、「自己資本+保有契約価値」であるが、保有契約の価値が数十年にわたり実現されることから、今後の金利や株価の一定前提に基づき計算される。その価値は、あくまで一定の前提の下での価値であり、経済諸条件の変化により毎日数字は変わりうる性質のものである。だから、EVは、現在の経済前提で算定は可能だが、それは日々変わるから、投資家としては、その数値を企業価値評価にどう使ったらいいかの判断が難しい投資指標なのである。JR東海の場合も、毎日企業価値が変わるものではないものの、少なくとも毎年大きく企業価値が変わりうることを考えれば、「JR東海版EV」をアナリストが計算するようになる日も近いであろう。例えば、仮に長期金利が暴騰したら、「JR東海版EV」は大きく低下する。
いずれにしても、このように30年後の可能性を色々考えると、リニア計画が益々馬鹿げたものに思えるのは筆者だけなのだろうか?今から30年前には、インターネットインフラ、携帯電話、スマフォ、タブレット端末、高速データ通信、PC普及など、現在の経済を支えているインフラは一つも存在していなかった。そのことを考えると、次の30年も同様に今の我々が想定し得ないような技術進歩が進む可能性があり、そのときに鉄道ニーズがどうなっているかなんていうことは、誰にもわからない。
なお、仮に人間がリニアにあまり乗らない世の中になったときに、リニアが完成したらどうしたらいいか?一つの解決法は、リニアを貨物路線にすることである。そのときは、リニアの所有者はヤマトHDになっていたりして!でも、それは、まるで、番犬を銀座の一等地で飼うのと同じくらいナンセンスに思われるが…。

大木昌光