No.0014

外国人投資家コンプレックスを捨てよう!

筆者がファンドマネジャーに転じた理由


筆者がアナリストをしていた97年12月から2009年2月までの間に、一貫して抱き続けた疑問がある。「なぜ、日本株運用で、外国人投資家のパフォーマンスが日本の運用会社を上回ることが多いのか?」
よく、日本人は運用が下手とか、外国人には高い運用能力が備わっているとか、わけのわからない意見が見られる。もちろん、ジョージ・ソロスや、ウォーレン・バフェット、ピーター・リンチといった著名投資家については、私も一目置いている。アナリストになる前は、彼らに関する本を読み漁り、数え切れない程の有益なインプットを得られたものだ。また、彼らほどの傑出したトラックがない場合でも、世界を股にかけて運用を行っている投資家のパフォーマンスを、同じ投資対象という条件下で上回ることも容易ではない。残念ながら、英語圏での資産運用は、やはり英語ネイティブの投資家に比べて、(英語がネイティブ並みでない)日本人は大きなハンディを背負っていると言わざるをえない。
しかし、こと「日本株」について、日本人である筆者が外国人投資家に負けるという気は全くしない。その理由として、まず一般論で言えば、日本で生活している日本人ならば、朝起きてから夜寝るまで、無数の日本企業の製品・サービスに接している。また、日本語の媒体にダイレクトに接し、自分が経験していない事象にもいくらでもアクセスできる。それらは、外国人投資家に対する、圧倒的なアドバンテージであろう。筆者は、ノンバンクというかなり閉じられた業界と、銀行というグローバルスタンダードがある程度及んでいて世界のプレイヤーを横比較しやすい業界の両方を、アナリストとして見ていた。そして、ノンバンクについては、いかなる外国人投資家にも負ける気は全くしなかった。また、銀行については、グローバルな規制が国際的に決まるため必ずしも日本にいることが一方的なメリットにはならないものの、日本の銀行セクターというものが結局は日本のミクロの集積であるというように考えれば、総合的に見ればやはり圧倒的なアドバンテージが自己にあることを感じていた。
それなのに、外国人投資家が日本の機関投資家を上回るパフォーマンスを残すのを見て、大変歯がゆく思っていた。もちろん、日本人投資家でも、私が敬服している投資家の方は少なからず存在する。その中で、日本株に関しては、高いパフォーマンスを示す日本人の層がもっと拡大しなければいけない、と思った。それが、アナリストからファンドマネジャーに転じた最大の理由である。
そして、ファンドマネジャーになって約4年。ファンド運用について、まるで人生を生きていくかのような難しい局面を多々経験してきて、その奥深さを日々体感しているが、「日本株市場で日本人ファンドマネジャーが負けてどうする」という思いは、強まりこそすれ、弱まることはない。

サード・ポイントのソニーに対する提案の考え方


そんな中、米国投資家であるサード・ポイントが、ソニーに対し、映画などエンターテインメント事業の分離上場提案を行い、日本市場は騒然となった。
しかし、筆者は、サード・ポイントの提案を、咀嚼もせずに金科玉条の如く受け入れ、専らソニーが受け入れるか否かという点に焦点を当てたアナリスト・投資家・メディアの対応を、大変情けなく思った。これは、著名な外国人投資家の意見には耳を貸さないといけないという、条件反射的な日本人の悲しい習性ではないかとさえ思える。
筆者は、この提案は、これまでの日本の株式検討に値しないと思っていた。今もそう思っている。なぜか?
最大の問題点は、子会社上場が適切か否かということだ。日本においては、多くの子会社上場のケースが散見されてきたが、そもそもの問題として、日本の子会社上場に意義を唱えてきたのが、ほかならぬ外国人投資家であることを忘れてはならない。また、海外の有力上場会社を見たときに、子会社上場を行っている会社が一体いくつあるのだろうか?こう考えていくと、サード・ポイントの主張に対しては、まずこの親子上場の適否を争点にすべきであろう。ちなみに、今回のケースについては、筆者はいくつかのメディアから取材を受けて、この話をストレートに申し上げたのであるが、取り上げたメディアは皆無であった。
2番目の問題点は、仮に企業内の一事業部門を上場させると、少数株主持分に相当する額が今後は毎期外部流出することになる。そう考えると、仮にその一部門の収益性が注目されることが株価上昇要因になったとしても、この利益外部流出分は「確実に」企業価値減少要因となる。「その分の利益目減り分累積額の現在価値相当額が上場益になるから、ネガティブ効果は生じない」という意見があるかもしれないが、もしその分離上場する一部門が有望であるならば、恐らく時間の経過と共に同事業の価値は上昇するだろうから(そう思っているからサード・ポイントも分離を主張しているのだろうが)、上場が損になる可能性が相当にあり、やや主張が矛盾している感は否めない。
なお、私個人としては、子会社上場は状況によっては適切な戦略であると思っている。例えば、ある事業に関し、将来の期待収益に対する期待リスクが一定の割合を超える場合に、リスク分散を図る目的での上場である。これは、ゼネコンが大規模建設案件に際しては単独会社で名乗りを挙げず、ジョイントでプロジェクトを組むのと同じ理屈である。第二に、上場で当該事業の士気が高まり、子会社上場後に少数株主利益が流出することを差し引いても親会社に帰属する利益が高まると予想される場合である。この意味で、例えば、GMOグループの子会社上場戦略は適切と筆者は考えている。
つまり、筆者が、今回の件で問題視しているのは、実は子会社上場そのものではなく、外国人から「子会社上場はおかしい」と言われると「その通り」と子会社上場を非難し、サード・ポイントから一事業部門の上場提案がなされると、それに従わないソニーがあたかも市場にフレンドリーでないかのような言い方をする、というように、理論的支柱を欠いた中で首尾一貫していない論説を繰り返す日本の評論家・メディアなのである。その意味では、世の中には、「その答えが適切か?」という視点ではなく、「誰が言ったか?」によって判断している人たちが少なからずいるように思える。

開国から150年。そろそろ単純な外国人礼賛から脱しよう


いずれにしろ、普段はヘッジファンドというと、市場を荒らす「ならず者」のようなイメージを持っている人間でさえ、そこに「外国人投資家」という冠がつけば、そのことに素直に耳を傾けるという日本人の習性は、そろそろ見直す時期に来ているのではないか。サード・ポイントだって、ヘッジファンドなのだ。
これに関連するかどうかわからないが、私は最近見るたびに苛立つ現象がある。サッカーのワールドカップが盛り上がっているが、例えば日本チームの試合を見ている日本人サポーターの多くが、チャンスを逃すたびに、両手で頭を抱えるポーズをする。これが、(私にとっては)不快極まりないのだ。これは、外国人特有のがっかりしたときのポーズであるが、少なくとも93年にJリーグが始まる前は、このような動作をする日本人はあまりいなかったはずだ。せいぜい天を仰ぐくらいの反応であったと記憶している。これなどは、もしかしたらグローバリゼーションの一端かもしれないが、逆に言えば、日本人が(隠れたコンンプレックスに基づくと筆者は思っているが)外国人に感化されやすいことの一端も示しているように思う。然るに、現在のように、経済や政治が混迷を極めている中では、自分で物事を考え、周りに安易に流されないことが、何事においても成功の秘訣と筆者は考えている。これを読まれた読者は、今回のワールドカップで日本チームが失点したときやチャンスを逃したときにどんなポーズを取っていたか、もし自然と両手で頭を抱えていたとしたら、そんなポーズを子供のときに取っていたか、を思い出して頂きたい。そんなポーズまで、外国人のマネをして、一体どうするんだ?

大木昌光