No.0011

みずほFGへのエール…「ワンバンク」は15年前にできなかったか?

収益力でMUFG、SMFGに先を越される

1999年8月19日の14時過ぎ、日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行の統合のニュースが流れ、日本の金融市場は騒然となった。遂に、日本の大手銀行が統合に動く…日本のみならず世界がこのニュースに興奮し、90年代前半以来10年近くにわたって不良債権問題に悩まされた日本の銀行セクターにおける、新たな時代の訪れが多くの投資家に期待された。筆者は、この当時、駆け出しの銀行アナリストとして、日々の動きをつぶさにウオッチしていたが、この時ほど強い胸の高鳴りを覚えた日はなかった。
そこから、早15年、今のみずほFGを見るにつけ、この15年間は一体何だったんだと思わずにはいられない。みずほの誕生の直後に、住友銀行で当時の西川頭取のスモールミーティングがあった。そのときに、三行統合に関する感想を問われて「まずは単体で収益力を上げていく」との説明があったが、西川さんの笑みが引きつっていたのを私は見逃さなかった。「これは、相当焦っているな」というのが、同ミーティングを終えた私の感想であった。その後、三井住友銀行の誕生、UFJ銀行の誕生などで、銀行は本格的統合の時代を迎えた。しかし、統合レースで見事な先陣を切ったみずほは、15年経過して、三菱UFJFGや三井住友FGの統合後発組に、収益力で完全に先を越される形になっている。

みずほにとって切っても切れないITとの縁…システム障害時の「看板事件」

ところで、ここで、なぜ大手銀行が99年に統合に踏み込めたかを振り返ってみよう。みずほの母体となる三行統合が発表された99年8月は、直前の3月に大手行に公的資金が注入され、銀行が長年悩まされてきた不良債権問題が終焉に向かいつつあった時期である。しかし、まだ全体として、銀行の健全性には不安が残されていた。したがって、経営統合することで、コスト削減を中心とした収益性拡大が志向された側面は間違いなくあった。
しかし、ある意味で、それ以上に銀行経営者の頭を悩ましていた要因は、システム投資余力に限界があったことだ。当時の大手都市銀行の業務純益が2000億円から3000億円であった中、各行の年間のシステム投資余力はMAXで500億円前後に限られていた。しかし、その頃に支配的と思われていた考えは、世界的に大手銀行は年間1000億円以上のIT投資を行わないと生き残れないという考えであった。私は、はっきり言って、この説は説得力が薄く鵜呑みにするのは危険だと思っていた。しかし、三行統合発表時に三行の関係者と雑談した印象として、統合により1000億円以上のIT投資余力を確保することが大きな目的の一つであると実感した。それと同時に、こんな説に流されて、ある意味で浮かれた統合をして大丈夫なのかという不安を感じていた。
その不安は的中し、何と三行統合の最終形として、3行を2つの銀行に組成し直すという考えが示された。そのときは、めまいがするくらい失望したものだ。「一体、どうやってシステムを作るんだ?」。「一つの銀行にすればいいではないか」。結局、この統合プランについては、旧行意識を引きずっていることの象徴として捉えられると共に、最初から合併方式で行くと踏み込んだ統合姿勢を示した三井住友銀行に、スタート地点から大きく差をつけられる遠因となったと私は理解している。
このように、ITとの浅からぬ縁でスタートしたみずほFGは、皮肉なことに、2002年4月の新銀行の船出の直後にいきなりシステム障害を起こした。余談ではあるが、当時、恵比寿駅前にみずほ銀行の支店があった。そして、システム障害が起きた後、「みずほ銀行」の看板が何者かにいたずらされていた。「みずほ」の「ほ」の字が分解され、「みずまし銀行」にされていた。これ自体は犯罪行為だが、システム障害になぞらえたネーミングセンスに、少し感心さえしたものだ。その看板は、すぐに元通りにされたが、その数日後に、今度は「みずほ」の「ず」の点々が外され、「ほ」の字も外されて、「みす銀行」にされていた。この表現は、ストレートすぎて、「IPPON」とは言えないものであったが、興味深い事象ではあった。

15年前にやっておくべきだったワンバンク…当時のみずほ経営者にワンバンクに反対か否か聞いてみたい

そして、今般、ワンバンクに舵が切られることになった。そして、三行統合で二行を作るという、試みとしては興味深いが、経営としてはナンセンスな「偉業」について、誰も責任をとっていない。
最初から一つの銀行を作ることとの比較で、少なくともITコストだけで数千億円のコストが無駄に消えたことになるであろう。私は、三行統合に踏み切った、旧日本興業銀行、旧富士銀行、旧第一勧業銀行の当時の経営者は、エポックメイキングな決断をされたと心より敬服している。このような決断は誰にでもできることではない。一方で、その英断の効果の何割かが、「ツーバンク」形成で減殺されてしまったことも否定できない。「ツーバンク」形成に踏み切った当時の経営陣には、現在の「ワンバンク」の流れをどう感じているか、是非聞いてみたいものだ。
そのような中、先週に入って、世界の大手銀行に、リスクアセットの20%のGLAC(損失吸収力=Gone Concern Loss Absorbing Capacity) の備えが求められる方向であることが報じられた。また、資本の問題が、日本のメガバンクの眼前に暗雲として漂い始めた。
結局、総括すると、みずほFGは、統合から15年を経過しても、15年前の課題であった資本拡充や戦略的IT実施が十分に実現できずにいる。しかも、この間に、公的資金返済前の自社株買いでみすみす資本を意識的に減らしたりしている上に、2バンクから1バンクへの作り変えでいまだに基盤システムの構築さえ完成していない。

ちなみに、この15年での進歩もあり。今後の頑張りに期待

筆者はファンドマネージャーとして、多くの証券会社の方と接点を持たせて頂いている。その観点から見ると、最近のみずほ証券の陣容の拡充・充実は目を見張るものがある。例えば、3~4年前までは、アナリストランキングはぱっとしなかったが、最近は間違いなくトップレベルにある。セールスの質量の充実も然り。このように、日本の証券市場でみずほのような邦銀系証券会社が存在力を高めることは、日本人の私にとって、大変望ましく嬉しいことである。
また、最近、預金手続きでみずほ銀行本店を訪れる機会があった。一般論として、銀行に税金支払いや送金で赴くと、立ったまま色々な書類を書かされた上に、後から来た人に順番を先に越されるような不愉快な事態に頻繁に遭遇するため、正直なところ私は銀行窓口に行くのが好きではない(自分が銀行員だったくせに…)。しかし、その際は、書類記入のための座席が用意され、店頭の女性担当者がきびきびと適切な指示を下さり、手続きがスムーズに済んだ。こうした快適な手続きを、大手行の中で最初にみずほ銀行で味わうことができたことに、少し喜びを感じた。ちなみに、私は興銀出身である。

大木昌光